「わたし」「わたし」言ってばかりいないで、
周りのことを見渡してみなくていいのか・・・・・・?
たとえば、
今のヨノナカ、○×ですよね。
Aさんって、陰険な人ですね。
Bさんって、 やさしいですね。
○○という状況は、問題だよね。
○△は、すばらしいね。
だけど、わたし研究していると、気がつきます。
○×なヨノナカも、
陰険なAさんも、やさしいBさんも、
問題のある○○という状況も、すばらしい○△も、
すべて、
「わたし」なんだ、
ということが。
どれもが、
「わたし」が、認知した、Aさんであり、Bさんであり、ヨノナカであるということが。
わたし以外の人にとってみれば、ヨノナカは○×ではなく、△■なヨノナカであり、
Aさんは、心の広い人であり、Bさんは、えばりんぼかもしれないのです。
わたし研究していると、
逆に、他人や周りの事柄を、わたし目線で決めつけてはいないかな?
という、俯瞰力が生まれてきます。
そしてまた、他人ごととして、見ているものは、すべて、
「わたし」のレンズを通して見たものであり、
他人ごとではなく、私ごとだ、と気づくのです。
あの○○さんって、○○な人よね、今の時代って○○よね、と、
わたしが言うとき、それはそのまま、わたし自身のことを言っている。
「みんなが(世間が)(世の中では)そう言うから・・・・」
「そういうことは、常識(当然)だから・・・・・」
という言葉を、つい、使ってしまうことがある。
みんなって、誰だろう?
常識って、誰の常識だろう?
家族?友達?テレビでしゃべってた人?最近見た新聞記事?
SNSの自分のタイムラインに載っている人々?
「みんな」がそう言ってる?本当に?
その「みんな(世間)」を、
「わたし」に、
言い換えてみるだけで、
わたし研究は、始まっていきますね。
周りのことを見渡してみなくていいのか・・・・・・?
たとえば、
今のヨノナカ、○×ですよね。
Aさんって、陰険な人ですね。
Bさんって、 やさしいですね。
○○という状況は、問題だよね。
○△は、すばらしいね。
だけど、わたし研究していると、気がつきます。
○×なヨノナカも、
陰険なAさんも、やさしいBさんも、
問題のある○○という状況も、すばらしい○△も、
すべて、
「わたし」なんだ、
ということが。
どれもが、
「わたし」が、認知した、Aさんであり、Bさんであり、ヨノナカであるということが。
わたし以外の人にとってみれば、ヨノナカは○×ではなく、△■なヨノナカであり、
Aさんは、心の広い人であり、Bさんは、えばりんぼかもしれないのです。
わたし研究していると、
逆に、他人や周りの事柄を、わたし目線で決めつけてはいないかな?
という、俯瞰力が生まれてきます。
そしてまた、他人ごととして、見ているものは、すべて、
「わたし」のレンズを通して見たものであり、
他人ごとではなく、私ごとだ、と気づくのです。
あの○○さんって、○○な人よね、今の時代って○○よね、と、
わたしが言うとき、それはそのまま、わたし自身のことを言っている。
「みんなが(世間が)(世の中では)そう言うから・・・・」
「そういうことは、常識(当然)だから・・・・・」
という言葉を、つい、使ってしまうことがある。
みんなって、誰だろう?
常識って、誰の常識だろう?
家族?友達?テレビでしゃべってた人?最近見た新聞記事?
SNSの自分のタイムラインに載っている人々?
「みんな」がそう言ってる?本当に?
その「みんな(世間)」を、
「わたし」に、
言い換えてみるだけで、
わたし研究は、始まっていきますね。
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