「健康」と「すこやか」は、同じようでいて、ぜんぜんちがう。

ひさびさに先日Mさんに会って、そういうことなんだ。と、思いました。


Mさんは、数年前、病気をもつこととなりました。

命も心配される病。


日々、努力して、充実した毎日をすごしていたMさん。

社会的にも経済的にも恵まれた立場にいらしたと思うし、

他人のために尽くし、自分のためにも、

それなりに、休息したり楽しんだりする時間もつくっていた。


なのに、なぜだか、Mさんは、いつも消耗しきったままに見えた。


6年ぶりにお会いして、Mさんが、病を得てから、

どんどんと、「すこやか」になっていったんだなー、ということがわかりました。

輝く笑顔を見て、

そして、「今が一番幸せ」という言葉を聞いて、

ほんとうにその通りに理解しました。


Mさんは、堅実にコツコツと歩んできたこれまでとは、まったく違う、

冒険の人生を踏み出されていました。

まるで「何か」に導かれるように、思ってもみない方向に進んでいったと、

語られていました。


その、「何か」。

幸せへの導きの声は、

Mさんの外ではなくて、内側から聞こえてきた声なのではないかしら?

と、わたしは思いました。


今も、病はそのままに存在している。

病にかかることは大変なことです。


でも、その病にならなければ、

Mさんは、自分を消耗し続けたまま、

その内側の「声」に、寄り添うどころか、聴く機会もなかったかもしれない、

わたしは勝手ながら考えていました。


そして、「わたしの内側の声を聴いている」Mさんにお会いして、

わたしの中にもどんどん元気な気持ちが生まれていったのです。


誰にでも、病がやってくることがあります。

わたしにも。

歓迎はしないけど、病気は善でも悪でもない。


おかしな言い方かもしれませんが、「すこやかな病人」は、いらっしゃる。


それは、「すこやかでない健康人」よりも、素敵なことではないでしょうか。


すこやかな、わたしのありようってどんなんだろう?

わたし研究しながら考えます。

わた研セミナーでも、そこを特に追求します。

よろしかったらご参加を。